【訃報】野坂昭如さん死去 直木賞作家 「火垂るの墓」 [芸能]
http://laughy.jp/1410698721760110722より引用
「火垂るの墓」の作者として知られる直木賞作家で、タレントとしても
活躍した野坂昭如さんが、12月9日、心不全のため東京都内の病院で
死去したそうです。
85歳でした。
野坂さんは2003年に脳梗塞で倒れ、病と闘いながら作家活動を
続けてきましたが、帰らぬ人となってしまいました。
野坂昭如さん生涯は壮絶なものでした。
●作家になる前の経歴
1930年、神奈川県鎌倉市生まれ。
生後間もなく母親が死亡したことにより神戸に養子に出され、その養父を
1945年の空襲で失いました。
旧制新潟高校をへて、早大仏文科を中退。
早大在学中に、CMソングの作詞やコント作家、テレビの台本など、実に
色々なアルバイトをしていたそうです。
おそらく、その経験が、作家「野坂昭如」の基を築いたのでしょう。
●作家活動
1963年、「小説中央公論」に連載した「エロ事師たち」という小説が
当時の人気作家である三島由紀夫や吉行淳之介に絶賛されました。
その後、終戦直後に栄養失調で亡くなった義妹をモデルとして書いた
「火垂るの墓」と、敗戦後の日米親善という時代を生きる男の米国に対する
屈折した心理を描いた「アメリカひじき」の2作で1968年、直木賞を
受賞しました。
「火垂るの墓」は、ジブリによりアニメ化されたのでご存知の方も多い
でしょう。
97年に「同心円」で吉川英治文学賞、02年に「文壇」と、それまでの
業績により、泉鏡花文学賞を受賞。
ほかの著作として「とむらい師たち」「死の器」「一九四五・夏・神戸」など
多数あります。
戦争を忘れてはいけないという思いから、「戦争童話集」の作成に取り組んで
いました。
●多彩な活躍
また自らを「焼跡闇市派」と称し、戦後の異色作家として八面六臂の活躍を
しました。
執筆のかたわら、歌手デビュー、映画への出演やキックボクシングに挑戦する
など、実に様々な活動で話題を呼びました。
1972、雑誌「面白半分」の編集長だった時、永井荷風作とされる
「四畳半襖の下張」を同誌に掲載すると、1973年2月、わいせつ文書
販売の罪で起訴され、1980年に有罪が確定されました。
作家の枠にとらわれない多才ぶりを発揮し、童謡「おもちゃのチャチャチャ」
の作者で1963年には日本レコード大賞作詞賞を受賞。
「マリリン・モンロー・ノー・リターン」など歌手としても活動しました。
テレビのCMや討論番組などでもおなじみでしたね。
●政治家としても
1983年の参院選に当選しましたが、「金権政治にけじめをつける」として
なんと辞職。
同年12月の衆院選で、田中角栄元首相の新潟三区から出馬し、次点で落選
しましたが、当時、注目を集めました。
●まとめ
本当に型破りで面白い作家でした。
また一人、昭和を駆け抜けた有名人がこの世を去り、寂しくなりますね。
ご冥福をお祈り致します。
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